• Grey Facebook Icon
  • Grey Instagram Icon

©2016  kobayashi takae

判断しない

June 26, 2016

人やモノを判断しないようにしたいといつも思う。

 

あの人って○○だよね、とか、ああだこうだ…

 

人間は何かを感じる時、自分のフィルターを通して見ている。

それがどう映るかは、自分自身の投影に過ぎない事が多い。


人が他人を語っているのを聞いていると、とても嫌な気持ちになったりする時がある。

 

でも、まあ、言いたいのかな。 と、聞いたりするけれど
嫌な気持ちになるのは、その人が自分自身の嫌なところをあげつらえているからかも知れない。

自己否定をグダグダ聞いているという事になる。


判断して話すんじゃなくて、ありのままを話したい。

 

この人にこんな事を言われた、とか、あの人にこういう事をされて嫌だった、とか。

ただあった出来事を語るだけだと、聞いていて共感できるし気持ちいい。


こういう出来事があって、私は、こう感じた。


これをベースに語れば、誰も嫌な気持ちにならないし、自分も感情を表現できてスッキリする。

自分自身を表現できるというのは、人間にとってとても大事なこと。


猫だって、シャ――!と、嫌なものには嫌だとストレートに表現する。

だからといって、その人そのものを嫌なわけじゃなくて、次の瞬間には仲良くしていたりする。

嫌だと言われても、自分が嫌われたわけじゃない。

その行動が嫌だと感じただけなのだ。

 

ここで人間は思考が入ってきてしまうから厄介なんだと思う。

 

ここで勘違いしてはいけないのが、批判と非難は違うということ。

 

こういう出来事があって私はこう感じた。まではただの意見だからいいとして…

あの人は〇〇なんだよ、なんでそうなんだろう!いいかげんにしてほしい!

などと、自分のフィルターを通して人を判断しはじめてしまうと話がややこしくなる。

 

判断する事によって、自分の感情が動かされ怒りのスパイラルに入ったりしてしまう。

だって自分のフィルターを通しているから自分を投影して、自分を非難している事になるから。


モノに対する感情も同じように思う。

 

人の作るモノや、表現するモノに対して感じることは、自分を知るきっかけになったりもする。

非難する心が出てきたら、そういう表現に対して自分が禁止している事だったり、他人から指摘されて押し殺している自分の資質だったりもする。

結局、非難の押し付け合いで自由を奪われてしまってる人であふれているような気がする。


どんな表現があってもいいと思うし、ほんとうに人それぞれであって、好みも千差万別。

 

このネットワーク社会で、他人の意識に惑わされず、どれだけ自分というものを保てるか?

これが大切なんじゃないかと思う。

 

そして判断せずに、自分で選びとっていきたい。

Please reload

特集記事

I'm busy working on my blog posts. Watch this space!

Please reload

最新記事

October 17, 2016

August 29, 2016

June 26, 2016

June 11, 2016

June 5, 2016

Please reload

アーカイブ
Please reload

タグから検索

I'm busy working on my blog posts. Watch this space!

Please reload

ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square